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インド・バラナシ・巡礼の町

 

食べ物のこと、河畔のテラス

 

インド・バラナシ・巡礼の町

 

食べ物のこと、河畔のテラス

 

そういえば、食べ物のことをすっかり忘れていた。

バラナシでは初めから終わりまで旧市街に滞在したので、食事はすべて旧市街にある飲食店を利用した。
基本的にはすべてカレーになるのだが、わたしはけっこう大丈夫。
子どもたちには、お店で「辛くない」ものを尋ねてから注文した。幼い彼らに人気なのは「ドーサ」と呼ばれるクレープにも似た軽食的な食べ物で、場所によってはチョコレートを挟むなどスイーツにも変化する。

 

この時代、インターネットさえあればだいたいどこの都市に行っても飲食店のレビューが見れる。
よほど期待値を高く設定しない限り、ちょっと検索してみればそこそこの店に行き当たるので、大ハズレして落胆する経験もほとんど起きなくなったのだろう。

けれども最後は、末っ子以外の全員が見事にお腹を壊してしまった。水にはじゅうぶん気をつけたのだが、油についてはノーマーク。
難を逃れた末っ子が唯一手をつけなかった炒め物の油だろうと踏んでいるが、真相は謎のまま。

 

ロケーションでは、夕方にガンジス河畔のレストランの屋上に登ったことが吉と出た。

 

日没に近くにつれ、街を覆う大気の色が刻一刻と変化する。

 

この上なく神秘的な夕景だった。

もちろん派手さは微塵もない。華やかさについて言えば、東京の街を一望できる高層階のレストランとは比べものにならないことはあきらかだ。ここにはキラキラした都会の夜景も、垂直にズンと伸びる摩天楼もなにひとつ存在しない。
あるのはボロボロの住居や商店、寺院やヨーガ施設、うず高く積まれた瓦礫や薪、裸足の人びと、巡礼客、そして牛や野犬たちだ。
岸辺には、いまにも崩れ落ちそうな低層の家々が無秩序にひしめき合い、川の向こうは真っ暗で対岸には灯りもない。

 

けれどもこの不思議な聖都バラナシで、国中から押し寄せる巡礼者たちに揉まれながら、ガンジス河や火葬場、寺院のまわりを静かに漂う独特の死生観に出会うとき、この世界には人智を超えた生命の原理、ひょっとしたら想像よりもはるかに広い宇宙観があるのかもしれないことに、はたと気づかされるのだ。

 

ふと上空を見上げると、1枚の焼け焦げた紙切れが宙に浮かんでいるのが見えた。
とても不思議な光景だった。
その黒い紙切れは、ガンジス河と天との間でやむことのない風に煽られ、それ以上は上に登らず、また下に落ちていくこともなく、ただそこに長いこと漂い続けているのだった。