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インド・バラナシ・巡礼の町

 

朝、ガンジス河の畔を歩く

インド・バラナシ・巡礼の町

 

朝、ガンジス河の畔を歩く

 

窓の外が騒がしい。
ボロボロのベッドの上で時計を見ると、まだ朝の5時半だ。

がや、がや、がや……
ぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃ……
はっ! はっ!……

いったい何の騒ぎだろう。
カーテンの隙間から狭い路地を見下ろすと、そこにはすでに地元の人が座り込んでおしゃべりしている。路地には牛や野犬もいて「はっ! はっ!」と時折響く声は、路地の真ん中にボサッと立つ、けれども邪険にできない牛に「どいて、どいて!」と葉っぱをかけている声だった。

旅行中、その土地土地で朝の音を聞くのは楽しい。エジプト・カイロの旧市街では、朝早くからラクダと馬の蹄の音、野犬の遠吠え、そしてコーランの大音量放送が聞こえてきたのを思い出す。クロアチア・ドブロブニクの旧市街では、商人たちが朝市の支度をする物音が聞こえてきた。タンザニア・セレンゲティのサバンナでは、エキゾチックな鳥や虫の鳴き声が乾いた空気を伝ってきた。

ここバラナシの路地裏では、朝早くから人びとの他愛のないおしゃべりと、路地の牛をどかそうとするおじいさんの掛け声が聞こえてくる。

 

「おはよう!」
宿のご主人がオムライスを出してくれる。
「オムライスの中、チキン・ライス、作るの無理ね。ご飯と野菜、炒めるだけ」
「じゅうぶんです。ありがとうございます」
視線を落とすと、なるほど、オムライスと言われれば、オムライスのような気がする。炒めたご飯にうす焼き卵が乗かって。
「トーストも出るはずですよね、持ってきてもらっていいですか?」
夫がすかさず指示を出す。
「あとコーヒー、もう持ってきちゃってください。ガイドさんから何か連絡はありましたか?」
旅程の組み立てもそうだが、彼はロジスティックス、人やモノの流れを考えるのが好き。今日はいまからこれをして、そのあとにはあれをして、移動はこうで……
「きみ! ぼくに命令ばかり!」
突然、宿のご主人が口を開く。
「あれをしろ、これをしろ、次から次へ注文する。最初に部屋の交換を言われた時からそのことは分かっていたんだ」
ごちゃ、ごちゃ、ごちゃ……
ご主人がふたたび台所へ引っ込んでいく。
「彼、いま何て?」
ご主人の訛りが強いので、どうやら夫は彼の愚痴を聞き逃していたらしい。
「いや、べつに大したことじゃないんじゃない」
夫はいつもの調子だが悪気はいっさいない。宿の人も宿の人で遠慮のかけらもない様子。
この土地では、お客さまは間違っても神様ではない。お互いに察したり遠慮したりする必要もない。言いたいことがあれば言う。陰湿さはまったくない。店と客とのこの関係は、それはそれで気楽なものかもしれない。

 

「はい、コーヒーね」
宿のご主人がケロっとした顔で戻ってくる。なんだかすがすがしい気さえする。

インドに来る前、ロンドンで暮らすインド人から「水と氷に気をつけろ」と再三注意を受けてきた。水はかならずミネラル・ウォーターを買うこと。それもしっかり工場で密封されたボトルであるか(詰め替えではないか)を蓋のところで確認すること。お店で出された飲み物に氷がないのを確認すること。たとえインドに生まれた人でも、ほかの国へ移って何年も時が経つと、インドの水にやられてしまうのらしい。友人曰く、
「わたしはインドで育ってきたけど、いまインドに戻ったら現地の水は飲めないよ。慣れない水でお腹を壊しちゃうから」
「なるほど……じゃあ、チャイとかコーヒーは大丈夫?」
「煮沸してあるものは大丈夫」

そう、コーヒーは煮沸してあるので大丈夫。わたしは目の前の黒々とした液体をしげしげと眺め、すすってみる。
味は普通にインスタント・コーヒーだ。

「そうそう、ガイドなら朝早く来て、ずっと外で待ってるよ」
旅程では、これからガンガーの周辺を散策することになっている。今日こそ英語か日本語のできる現地ガイドを期待するが、例のデリーのツアー会社は運転手ではなく「ガイド」を送り込んでくれただろうか。

階下に降りると、近所の誰かと見知らぬ中年のインド人がおしゃべりしている。たぶん彼がガイドさんだ。
「はじめまして、わたし今日ガイドします、ラジです。よろしくお願いします」
「おお、日本語を話すのですね!」
「はい、わたし、バラナシ大学で日本語を勉強しました」
「すばらしいですね」
「では、ガイドさん…….」
夫が早速、午前中の段取りについて相談を開始する。
ごちゃ、ごちゃ、ごちゃ……
ごちゃ、ごちゃ、ごちゃ……
「そうですね、午前中はそんな感じで。ガンガーのあたりを適当に散歩することにして、お昼はぼくたち適当に食べますので大丈夫です。よろしくお願いします」

 

というわけで、わたしたちはふたたびガンガーへ向かう。

 

宿の前では巡礼客の人びとが休憩している。
昨夜は牛が座って休んでいた場所で。

↓↓↓ 今朝、巡礼客のみなさん ↓↓↓

↓↓↓ 昨夜、牛さん ↓↓↓ 

昨夜の混乱と打って変わって、朝のガンガーはとても静か。

あらためて、やっぱり汚い。

ガンガーの水源は、インドの北を東西に走る「ヒマラヤ」の雪解け水。その水は非常に冷たく清らかなはずなのだが。

その水は、平地に降りるにしたがって大量の泥や砂を巻き込んで、さらに人間の出したゴミ、汚水まであらゆるものを呑み込んでいく。ヒマラヤの雪解け水は、こうしてほどなく黄土色の濁流と化してなお悠然と流れていく。この河を見ていると、まるでヒンズー教のありようを———この土地に根づいたあらゆる神々、信仰や崇拝様式を内に取り込み肥大化した結果としての総体を———思い出させる。まるでガンガーという存在がヒンズー教の本質を体現しているようだ。

「いま雨季です。水が増えて、ボートに乗るのは危ない。行政が禁止しています」
ラジさんが教えてくれる。
デリーの旅行会社の旅程に「朝のボート・ライド」と書いてあったがやむをえない。

「あそこに座っている人たちは、何をしているのですか?」
沐浴場の階段にインド人がふたり、向かい合って座っている。
「あれはバラモンと観光客。バラモンがお客さんのために祈っています」
「えっ、あれがバラモン? 初めて見ました。カーストで最上位階級にあるという?」

インドの社会的身分制度、いわゆるカースト。
もとはポルトガル人のつけた呼び名で、インドではヴァルナ(4つの種姓)とジャーティー(3000超の職業区分)と呼ばれている。
日本でよく知られているのはこの4つの種姓。バラモン(僧侶)を最上位階級に、クシャトリア(王族・戦士)、バイシャ(市民)、シュードラ(労働者)とつづき、その外にアウトカースト(不可触民)がある。基本的には世襲制、生まれたときからすべて決定済みだ。
1950年の憲法でカースト制度は廃止されたが、いまだにこのヴァルナとジャーティーはインド社会に根強く残ると言われており、この定めから逃れるためにはヒンズー教から別の宗教へ改宗するか、これまで存在しなかった新たな職業(たとえばIT)に就くという道もあるが、現実的にはかなり厳しいらしい。ちなみにバラモン(僧侶)は全人口の5%、クシャトリア(王族・戦士)はわずか4%と言われている。

「そうそう、バラモン。サンスクリット語で教育を受けています。いま祈っているのもサンスクリット語ね 」
なるほど、彼らは圧倒的に落ち着いて見える。これまでに町で見かけた一部の行者———わたしのような外国人観光客に、強烈にお布施をするようアピールしてくる行者———とはまったく異なる印象だ。けれども実際バラモンたちが心の中で何を考えているのか、外見からは分からない。幼少期から高い教育を施され、人びとのため神に祈るバラモンたち。
いっぽうのインド人観光客は、いままさに喜びに包まれているのだろう。念願叶ってここバラナシのガンガーで、バラモン直々に祈りを捧げてもらっているのだ。
「観光客、インドの南のほうの人。言葉を聞くと分かります」
「なるほど、はるばる巡礼に来たんですね」
「はい。観光客、バラモンにお金たくさん払います。あれだけですごくたくさん」
へー。
「それからあっちもバラモンです。あれは多分えらい人ね」
なるほど、たしかにこちらは椅子と屋根付きだ。バラモンとひと口に言っても色々なバラモンがいるのらしい。

さてここで肝心の沐浴だが、残念ながら断念した。
インターネットで調べていたら、ガンガーに慣れない外国人観光客が沐浴すると体調を崩す場合もあると書いてあったからだ。さすがにここで病院に担ぎ込まれるわけにはいかない。
けれどもここに佇んで、沐浴する人びとを観察するのはとても楽しい。
バラナシ地元の人びとや各地から訪れた巡礼者が次々と沐浴に励んでいる。

ほかにも沐浴場でヒゲを剃る人や、

あたりの(嫌がる)野ヤギをきれいに洗う若者たち、

階段上から飛び込みを楽しむ若者、

河でシャンプーする人などさまざまな人がいる。

こんな感じでわたしたちは大小さまざまの沐浴場を見学して歩く。
まるでもう何日もこの土地にいるかのような気分で。

朝、ガンジス河畔を散歩する

火葬場のこと

カーシー・ヴィシュヴァナート寺院

食べもののこと、河畔のテラス

デリー行きの夜行列車