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インド・バラナシ・巡礼の町

 

夕、ガンジス河畔の儀式に行く

インド・バラナシ・巡礼の町

 

夕、ガンジス河畔の儀式に行く

 

ふたたび運転手のお兄さんと迷路のような路地を抜け、ガンジス河のほとりへ向かう。
夜7時に始まるアールティと呼ばれる儀式を見るために。

大通りは例によってバイクやリキシャ、シバ神ファンのオレンジ色の巡礼者、行者、物売り、物乞い、インド人観光客、牛、野犬でごった返している。

ビーッ、ビーッ! プップー! チリン、チリン! ビーッ、ビーッ! プップー! チリン、チリン!……

ところで、ガンジス河を流れる水は、ヒンズー教の信徒にとって聖なる水にあたいする。とくに熱心な教徒たちは、みずからこの地へ赴き聖水を浴びること、つまりガンガーで沐浴するのをまたとない幸福と考える。
さらに自分がいずれ死を迎えるときは、ここで遺体を焼いてもらい、みずからは灰となってガンガーに流されるのが究極の理想らしい。

というのも、ヒンズー教では輪廻転生(サンサーラ)———命あるものは来世で生まれ変わり、その生と死が無限に繰り返される———という考えかたが根幹をなしている。この輪廻転生はのち仏教にも受け継がれ、日本文化に大きく影響し、現代の日本人の意識の奥にもそこはかとなく流れている世界観でもあるのだが、ここで言う次の輪廻、つまり来世の宿命は、現世での行ないを意味する業(カルマ)によって決定される。日本語にも「因果応報」という言葉があるように、前世で善い行ないをした人は来世で報われるいっぽう、悪行を重ねた者はとんでもない宿命が待ち受けているというわけだ。
そんな輪廻転生のきびしい定めに手を差し伸べてくれるのが、ガンジス河・母なるガンガー様である。インド神話にあるように、もとは天界を流れていたガンガー(それがやがて地上に落ち、落ちてきたその流れをシヴァ神が受け止めたと神話で伝えられている)には偉大な霊力が備わっており、そこで沐浴する者はすべての罪が浄められるという信仰がいまも根強く存在する。

それからもう1つ、輪廻転生とともにヒンズーの根幹をなす考えに、解脱(ムクティ)がある。これは一般的に、魂が永遠に続く輪廻の環、その苦しみから解き放たれて境地に達する概念で、いわば信徒の最終目標、ヒンズー教徒の至高であるとされている。
この解脱を助けるために再登場するのが母なるガンガー様である。この聖なる河に遺灰を流せば、その霊魂は浄化され、天界に昇ることができるという。

そういうわけで、ここバラナシのガンジス河畔には死期の迫った信徒たち、現世を離れた行者たちがインド全土から寄り集まって、専用施設や河畔などで日々祈りを捧げながら静かに最期を過ごしている。彼らはこの慈悲深い河の畔で死を迎え、魂のぬけ殻となった遺体は火葬場で焼いてもらい、遺灰が河へ流れることにより、ついにその魂が天へ昇っていけるようひたすらに祈念する。

これはもうヒンズーではない人びとの想像を超えたところにあるのだが、母なるガンガーの河畔にたたずみ、みずからの死と次の輪廻の幸福を、究極的にはその魂の解放に祈りを捧げる彼らの心は、平和にも似た穏やかな心境であるかもしれない。

 

Photo: Jose Aragones

わたしたちは河の畔、「ガート」と呼ばれる階段状の沐浴場に到着する。
すでにあたりはシヴァ神の色、オレンジ色できれいに埋め尽くされている。

バラナシには河岸6.4kmにわたって84個のガート(沐浴場)が並び、このガートの連なりが町独特の景観をつくっている。
今夜お祭りが開かれるのはもっとも大きな「ダシャーシュワメード・ガート」。ここで7時に始まる儀式をボートから見学することになっている。

「ユー・テイク・ボート?」

運転手のお兄さんがボートに乗るかと聞いてくる。いちおう事前の旅程ではここでボートに乗ることになっているのだが、ガイドブックのイメージとはだいぶ違って見えてくる。神秘的なガンガーでのボート・ライドはどこへやら、この混乱と渋滞でどうやって漕ぐのですか。

聞けば、乗客はこうしてただ小舟に乗って漂っているだけだという。小舟と言ってもまったく漕ぐ必要がない。いまは雨季、水位がもっとも高い時期。水かさが多いと危険が増すので、ボートで河を渡ることは行政から禁じられているのだそう。だからよく地球の歩きかたなどに小舟に乗った写真があるのは乾季に限ったことであり、雨季にはそれが叶わない。外国人観光客が多いのはこの乾季の間で、日本人も例外ではない———どうりで日本の観光客を見かけないわけだ。

わたしたちがボートに乗るので、お兄さんがボート貸しと話をしている。お兄さんを待つ間、階段で売られているロウソクとお花も買う。

小舟に乗ると、もう目の前は他の舟でいっぱいである。岸からほんの3mという場所に滞在することになりそうだ。

オレンジ色の衣をまとったシヴァの信奉者たちが、これから岸辺で始まる儀式をいまかいまかと待ち望む。

やがて辺りが暗くなり、時刻はぴったり午後7時、お祭りの時間になる。
まわりの人びとの視線の先を見つめると、先の岸辺がスポットライトや松明で明るく照らされ、司会の声、歌や音楽、踊りの入った儀式が始まるのだが———

その肝心な舞台というのが、いかんせん遠すぎる。思わず立ち上がってしまった人が、周囲の苦情を一身に受けている。しかしこのままお行儀よく見ていても、あそこでなにが行われているのか、なにが語られているのかも理解することができない。それでもまわりの聴衆たちは、手拍子を叩いたりときどき一緒に歌ったりして楽しそうに過ごしている。

調べてみると、アールティとは「闇を取りのぞく」という語に由来し、意味はずばり「火の儀式」。ここバラナシでは若い僧侶がずらりと並びマントラが唱えられ、ガンガーに向かって火が灯される。

その舞台を間近で見ると、こんな感じになるらしい。儀式は45分ほど続くそうだ。

Photo: Ramada Varanasi

シヴァの祝福月間に、シヴァ最大の聖地にて儀式に居合わせる体験は、信徒にとって夢のようなひとときにちがいない。
たとえばそう、この笑顔。
またとない興奮と喜びは、スマートフォンの画面を通して、遠く離れたこの男性の家族のもとへ届けられる。

ところでシヴァとはいったいどんな神様なのか。
この神はずばり破壊を司る。ヒンズー教の神々はまるで人間のようにさまざまな面をもっており、シヴァの場合は世界の破壊者でありながら、吉祥や幸福を与える神、さらには豊穣、踊りを司る神でもある。

シヴァはまたヒンズーの三大神の1つで、のこりの2つにブラフマー(創造)とヴィシュヌ(維持)の神があるのだが、その背景にはヒンズーでは天地創造が繰り返されるという思想———すなわちブラフマーが世界を創造し、それをヴィシュヌが維持し、さらなる創造のためにシヴァが世界を破壊する———が存在している。この3つの役割が1つになったのが三神一体という考えかた。

シヴァの外見はこんなふうに描かれる:

実はこのシヴァ神は日本でもおなじみの「大黒様」の異名なのだった。大黒様は破壊者としてのシヴァ神が仏教で発展した「マハーカーラ(大黒天)」と、日本神話に登場する「大国主命」との融合だと言われている。

 

それにしても、七福神にも登場する柔和な大黒様の起源がヒンズー教、それも破壊と再生を司る荒々しいシヴァ神というのだから———
ここでわたしはまたしても、日本人とインド人の思いがけない結びつきを示された気分になるのだ。

 

さて、儀式も佳境に入るにつれ、子どもたちがうつらうつらし始める。まだ儀式は終わらないが、わたしたちはひと足早く宿へ戻ることにする。

最後にお花を河へと流し、岸に戻って宿まで歩く。

明日は朝から、願わくば日本語ペラペラなガイドさんと、ガンジス河畔を散歩することになっている。
いまは暗くてよく見えないが、明るい日差しの下でまたガンジス河も眺めることができるだろう。

宿の前に戻ってくると、大きな牛がどっかりと腰を下ろして休んでいた。

宿の階段を上っていくと、ダイニングのソファの上で、宿の主人がゴオゴオといびきをかいて眠っていた。

 

夕、ガンジス河畔の儀式に行く
朝、ガンジス河畔を散歩する

火葬場のこと

カーシー・ヴィシュヴァナート寺院

食べもののこと、河畔のテラス

デリー行きの夜行列車