アフリカへサファリに行く
セレンゲティ編(6)
アフリカへサファリに行く
セレンゲティ編(6)
水場に集まるシマウマとヌーの大群
いつからだろう。私の中でシマウマはすっかり背景の一部となっていた。
思い起こせば、サファリの初日。マニヤラ湖の茂みからひょいと出てきた3頭のシマウマは、私を興奮させるのに十分すぎるほどだった。それがいまでは「ああ、シマウマか」で終わってしまう。おそらくその間、何百という縞模様を見つづけてきたせいだろう。セレンゲティで写真を撮れば、たいていその遠景にシマウマが写り込んでくるものだ。シマウマはヌーと同様、出現率でインフレを起こしている。
けれどもここは例外だ。これまでに見た頭数を優に超える大群が、すぐそこの水場まで押し寄せている。
シマウマとヌー。この2種類の動物はしばしば行動をともにする。これは、シマウマとヌーが同じ草の別の部位を食べ分けていることや、ヌーが遠くの水の匂いを嗅ぎつけるいっぽう、その性格があまりにおっとりしているために、シマウマを先導役に押し出すことがかかわっているそうで。なるほど、両者はたがいの違いを頼みに、協力し合っているわけだ。
このあたりは「ヌーの大移動」の地としても有名だ。1年に2度、150万頭のヌーたちが、20万頭のシマウマと50万頭のトムソンガゼルとともに、タンザニアとケニアの間を移動する。7月頃にはケニア(マサイマラ国立保護区)からタンザニア(セレンゲティ国立公園)へやってきて、11月にはタンザニアからケニアへ向かっていくらしい。水と食料を追い求め、彼らは毎年大移動を繰り返す。
この時期、ヌーたちはタンザニアで出産ラッシュを迎えたところ。多いときには1日に8千頭もの赤ちゃんが生まれると言われている。次の移動の時期がくるまでしばらく腰を据え、子育てに勤しむらしい。
「ンーッ、ンーッ、ンーッ」
これはヌーの鳴き声ではない。それによく似た運転席のシンバの声……。
シンバはときどき動物の鳴きまねをして、彼らの注意を引いている。これが非常にうまいので、自称「動物好き」というのも本物なのだと思えてくる。まるで、一匹・一羽・一頭との遭遇を心から楽しんでいるような。そうでなければ、25年もこの仕事がつづくだろうか。
「いつだったか、アメリカの出版社と仕事したことがあって。100日かけてタンザニア・ケニア・ルワンダを回ったんだ。夜明け前に出発し、日が沈んでから戻ってくる。タフな仕事さ。忍耐強くあることが、なによりも重要なね」
話題が過去の仕事の話にふれたので、私はかねてから聞きたかったことを尋ねてみる。
「過去のキャリアで、もっとも恐ろしかった場面というのはありますか?」
ガイドである彼自身、危険な目に遭うことはあるのだろうか。あるとしたら、それはどんな?
「そうだなあ、いろいろあるけど……」
彼はすこし間をおいて、
「やっぱりあれかな。一度だけ、ライオンに狙われたヌーの子どもが車の下に逃げ込んだんだ」
「えっ? この車の下ですか?」
「そう、この車の下だったよ」
シンバがこうしていまある以上、ライオンに襲われたという展開にはならないはずだが–––––
「そ、それで?」
「つぎの瞬間、ライオンが車の上を飛び越えた」
「それはまた……恐ろしいことですね」
そうとしか言いようがないという。
「ゾウもあったな。インド人のお客さんで、バナナをたくさん買い込んで、助手席に置いていたんだ。そしたら突然、天窓からゾウの巨大な鼻が降ってきて。その鼻がバナナを持ち上げていくんだよ」
「それであなたのお客さんは?」
「いまにも気絶しそうだった。お願いだからすぐロッジに戻ろうってね」
「なるほど……」
「ここではときどき、おかしなことが起きるんだ。本当に、おかしなことがね」
空飛ぶライオン。降りてくるゾウの鼻。それはどこかおとぎのようだ。