ページを選択

最近やたらと涙もろくて自分でもびっくりするのだが、昨日・今日となかなか涙が止まらず困っている。

子どもたちのロンドン最後の小学校生活が終わった。私たちはまもなくここを離れて日本に戻る。
8年前、東京からロンドンへ引っ越してきた頃は、この町を去ることがこれほど寂しく感じるとは正直思いもしなかった。
それから8年の時が経ち、気づけば私は当初の予想を超えて、子どもたちとこのコミュニティに深く根を下ろしていた。そのことをいまさらながら実感している。……

もっとも心を打ったのは、学校の最終日、娘の友人の少女たち(9〜10歳)が真っ赤な目を腫らしながら、学校から出てきたときのことだった。
どの子もよく知る小さな私の友だちで、彼女たちが5歳からーーーつまり彼女らがお気に入りのテディを抱えて「マミ〜、マミ〜」と言っていた頃からの付き合いになる。とくに最後の1年は私自身、学校の遠足を引率したり課外活動を手伝ったりと、学校の子どもたちとの個人的なつながりをいっそう濃いものに感じていたーーー最終的にほとんど学年全員の子どもの顔と名前とその性格を知るようになり、彼ら彼女らに個人的な愛着を持つようにまでなった、みんな本当に幸せになってほしいと思う。
その中でとりわけ娘と仲のよかった少女たちが、彼女とのお別れを心から惜しんでいる。手を握り合い、顔を濡らし、一歩一歩を踏みしめるように、学校からの下り坂を降りてくる。数年をいっしょに過ごした仲間を失うことに心を痛め、それを全身で表現している。

そう、もう戻ることはない。もしまたここへ戻ってきても、ここにいる(まだあどけなさの残る)少女たちは変わってしまう。多感な思春期に入っているかもしれないし、いわゆる典型的なティーネイジャーになっているかもしれない。学校のコミュニティだって変わっていく。たくさんの人びとが出て行って、また別の人びとが入ってくる。そして同じように、娘も私も変わってしまう。私たちはこの土地から地理的に文化的にかけ離れた環境へ入ってゆく。環境は人を変え、私たちは歳を重ね、別の道を進むだろう。娘とその友だちがいまと同じ状態に戻ることはありえない。時はけっして淀むことなく、逆戻りすることもなく、絶えず休まず流れていく。

そんななか、私の娘は涙を見せることがなかったーーー私は気づけばボロボロに泣いてしまったのだが。もちろん娘も別れを惜しんでいることは伝わってくるのだが、ほかの少女たちのようにうろたえる様子がない。彼女は非常に忍耐強い子どもなので、もしかしたら見事に耐え抜いていたのかもしれないが、やはり母親の私から見ても彼女はわりに平気だった。

そんな光景を眺めていて、私は思い出した。……

別れには、当たり前のように去る者と残される者とが存在する。そしてたぶん去る者は、変化にともなう日々さまざまのドタバタに対応するのに忙しく、その関心はどうしたっていま・これからの自分の動きに注がれる。彼らはあまりにせわしないので、残される側について想像してやる時間的・体力的・精神的余裕を持たない。
いっぽう残される側にとっては、これからも当面変わることのない日常が続くので、相手について思いを巡らす余力がある。日々の生活のふとした瞬間、「ああ、あの子はもう行ってしまうんだなあ」と感じ入ることがある。そして相手とのさまざまな思い出をいとおしく見つめながら、もうそれを共に作り出せなくなることを知り、寂しく思う。その寂しさは、過去を振り返れば振り返るほど、それをめでればめでるほどに強くなる。
「あなたがいなくなるのを寂しいと思う」「あなたとはもう思い出を作ることができないのを寂しく思う」それがI miss youということだ。

そこで頭の中でベルが鳴った。私は長い間忘れていたことを思い出したような気がした。自分はこれまで去る側にいたとき、残される側のことをちゃんと想像できていなかったんじゃないか、とーーーだからそう、私の見た娘の姿は、かつての自分の姿でもあったかもしれないわけだ。たとえば18歳で故郷を去ったときも、私はぜんぜん寂しくなかった。常に自分のことで頭をいっぱいにしていたし、しみじみとその土地やそこに残る人びと(家族や友だち)について考える余裕もなかった。自分にはやりたいことがあり、なんとなく進むべき道があり、文字どおり不安と期待が入り混じった状態で満たされていた。両親や兄弟や友だちが寂しい思いをしていたり、あるいは急な変化にただ困惑している姿にも、いま振り返ればかなり鈍感だったのだろう。足の皮が思いのほか厚かったので、そこで何かを踏み倒してもぜんぜん気がつかなかったのかもしれない。……

だからいま、この金色や茶色の髪をした可愛らしい少女たちから、私は大事なことを教えてもらったような気がする。彼女たちの小さな身体で表現された感情をそっと手渡されたような。残される人びとが別れについてどんなふうに感じるのか。その「血の通った」感情について(感情という生き物について)、寂しさや困惑、痛みの気持ちについて、前よりすこし敏感になった気がしているーーーそれで私はこんなに泣いているわけだ。

自分と相手の立場の違いや置かれた状況の違いについて、すこしでも想像しようと試みること。相手の心に触れたいと願うこと。相手の気持ちに感じ入るということ。これはたんに自分が丸くなったとか、弱くなったとか、歳をとったとかいうだけでもなくて、たぶんもっと母性的なものであり(*子どもを産む・産まない、女性である・ないということで規定されない母性性、みんながおそらくどこかに(隠し)持っているであろう母性性)、これまで欠けていた部分を補うような形をとって現れた力なのかもしれない。……

私はいまーーー大の大人が涙を流しながらーーーこれまですっ飛ばしてきたある種の部分を、ゆっくりじっくりやり直しているのかもしれない。長い目で見たら、全体のバランスをとろうとしているのかもしれないと思っている。
(ああ、ポピーのくれた写真入りのペンダントを、アリーのくれたUSBスティックを見るだけで、また涙が溜まってくるのだ。……)

だからこの悲しみも、心にずんとくる痛みの気持ちも、目の腫れも全部、できるかぎり受け止めてやりたいと思う。少女たちの頬を滑る涙のしずくも掬いとってあげたいくらい。私はただ訳もわからず涙もろくなっているわけじゃないんだとーーーはたから見ればどう見ても、涙もろいおばさんでしかないのだが(!)。そうではなくて、私は人生でとても大切なことを、こんなに遅くなってから学び直しているんだなって。