インド・バラナシ・巡礼の町
バラナシにたどり着く
インド・バラナシ・巡礼の町
バラナシにたどり着く
バラナシ————インドに興味のある人ならば、きっとこの名を聞いたことがあるはずだ。この町はヒンズー教徒にとっての一大聖地。国内だけで年間100万人以上の巡礼者が訪れる。
バラナシ (Varanasi)の名は、この町を北と南から挟んでいるワルナー川(Varuna)とアッシー川(Assi)を足し合わせた言葉に由来する。つまり「ワルナー」+「アッシー」=「ワラーナシー」。それが英語読みで「バラナシ」という具合。
この町で何よりも大切な存在なのが 「ガンジス河」だ。この河はヒンズー語とサンスクリット語で「ガンガー」と呼ばれており、河そのものが「母なるガンガー様」としてヒンズー教徒にたいへん崇められている。
ちなみに、観光ガイドブック的景観はこんなふう:
Photo: Ramada Varanasi
空港の到着ロビーに入っていくと、わたしたちの苗字が書かれたプラカードが見えてくる。夫が事前にデリーのツアー会社を介して手配したドライバーの青年だろう。小柄でかなり痩せていて、年齢はたぶん二十歳前後。
さっそく近づき挨拶する。
こんにちは、初めまして。あなたがこれから宿に連れて行ってくれるのですか?
「イエース、イエース」
「ミー・テイク・ユー」
「ユー・フロム・ウェア?」
デリーのツアー会社から「英語の話せるドライバーを送ります」と言われていたのに、これはどうしたことだろう(「ミー」?)。こちらとしては行き先の宿名と、どのくらいで到着するかを確認したいところだが、なにか聞いても判で押したように「ノー・プロブレム」と返ってくる。
うーん、たしかにあなたにとっては問題ないかもしれないけれど………われわれはヒンズー語も話せない外国人で、初めてここにやって来て………しかも3人児童まで………行き先くらい確認したっていいじゃない?
「ミー・ノー・プロブレム!」
わかった、わかった。
運転手のお兄さんとワゴン車に乗り、幹線道路を移動する。
なんだ、けっこう大丈夫そう。道もちゃんと舗装されて—————
道路の脇に簡素な造りの路面店が立ち並ぶ。食品や飲料や生活雑貨を売っていて、いまにも崩れ落ちそうなものも多い。そこに人びとが腰をかけ、来るか来ないかわからないお客さんを待っている。
そうこうするうち、前を走る車両がずらずら幹線道路を外れていく。わたしたちも例外ではない。
なぜ、太い道から離れていこうとするのだろう?
あれよあれよと言う間に、車はすでに砂利道へ突入。速度がどんどん落ちていく。目の前に田畑が開け、農村に来たかのよう。
道は狭くてドロドロだ。季節は雨季。でこぼことした未舗装道路はどこもかしこも水溜り。
というかこれって、洪水だよね。
前のヴァンが荷台に数人女性を乗せて移動する。彼女たちは後ろ向きに座っているので、わたしたちと向き合うような格好だ。道に水があふれているので、車はソロソロ進んで行く。学校前はスクールバスで渋滞している。地面はどんどん凸凹に、わたしたちはますますグラグラ揺れていく。なんだろう、このライド。子どもたちがあっちこっちへ振り回される。わたしも横へスライドする。日本の道ではまずありえない乗り心地。遊園地にあるアトラクションのよう。
ぬかるみにタイヤを取られた自動車が抜け出そうと奮闘している。運転手が頑張っている。その周りを見物に集まった村人たちがここぞとばかりに囲んでいる。
どうやら幹線道路が壊れてしまい、すべての車両がこの村にある「裏道」を通ることになったらしい。
どうりで混雑しているわけだ。
・・・・・・・・・
たっぷりと時間をかけて未舗装地帯を通り抜ける。
なかなかのライドだった。雨季の農村、ドロドロの道、村人たちとその暮らし。
やがてワゴンがもとの幹線道路に戻っていく。
あたりがやっと町らしくなってきたので、引きつづき車窓の景色に釘づけになる。
・・・・・・・・
しばらく進むと、道の上で予期せぬものが目に入る。
農村の砂利道ではない。幹線道路の真ん中に突如牛が現れる。
噂には聞いていたが、こうして見るとなかなかの衝撃というかシュールというか、畏れ入る。車のビュンビュン飛び交う道路に、牛がどっかり腰を掛け、あるいはボサッと突っ立っている。彼らはたぶん、自分がひどく危険な場所にいることがわからない。
ヒンズー教徒はけっして牛を轢きはしないが、それでも万に一つでも、不運というのはあるだろう。
彼らはまるで、自分がいま起きているのかいないのか、生きているのかいないのか、そんなことさえ気づかないように見えてくる。いや、むしろそんなことはとっくに超越したかのような————たとえばわれわれ人間たちの小さな小さな自我だとか、死の恐れ、生への執着、そういう「現世」を悠々と飛び超えているかのような————風貌にも見えるのだ。
つまるところ彼らに言わせれば、こういうことになるかもしれない。
「だってオレたち、神様の御使いなんだぜ?」
ところでこの国インドでは、人口の80%強(数にして10億人)がヒンズー教を信じている。
いっぽう日本のヒンズー教徒はごく少数。その数わずか5千人(0.004%)とウィキペディアには書いてある。つまり日本で普通に暮らす限り、ヒンズー教徒はなかば幻、ヒンズー教徒に出くわすことは、タヌキに遭うよりめずらしい。この数字を見るかぎり、一般的な日本人とヒンズー教徒の関わりはほぼなさそうに思えてくる。
けれどもちょっと気をつけてみたいのは、これがあくまで日本人の見立てであって、インド人のそれではないということだ。
というのも、ヒンズー教の多くの人は
「仏教とはヒンズー教の一部であり、したがって仏教徒はヒンズー教徒の仲間である」
と考えているのらしい。
これは実際、ヒンズー教の解説書を開いてみても、ヒンズー教徒に尋ねてみても、ごく当たり前に返ってくる反応だ。曰く、仏教はヒンズー教から派生した宗教なので、もとを辿れば仏教徒もヒンズー教徒も同じものを信じている。
つまり彼らの論理では、日本人の仏教徒———人口にして48%とも言われている———はヒンズー教徒の仲間である。
とくに日本人の宗教意識や信仰心は曖昧だ。たとえば生家がお寺の檀家に入っていたり、あるいは自分で初詣に出かけたり、先祖のお墓や仏前で手を合わせたりするなど仏教的な振る舞いや事実があっても、「自分は無宗教・無信仰だ」と認識している人びとがかなりいる(わたしもそこに含まれる)。
こういう人も、ヒンズー教徒にしてみれば仏教徒になるわけだから———「だってアナタ、仏前や墓前では手を合わせているでしょう?」———彼らにとって、日本の「仲間」は48%どころではないのかもしれない。
いったいだれが思い付くだろう? まさか自分がヒンズー教徒にカウントされていたなんて。
・・・・・・・・
そんなわけで、自らとヒンズー教との思いがけないつながりに気づくころ、わたしたちを乗せた車はバラナシの旧市街にたどり着く。
バラナシにたどり着く
宿
夕、ガンジス河畔の儀式に行く
朝、ガンジス河畔を散歩する
火葬場のこと
カーシー・ヴィシュヴァナート寺院
食べもののこと、河畔のテラス
デリー行きの夜行列車